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2018年12月[Sanada発 現場から]


真田のチェコ訪問記


 今月は、真田のチェコ訪問記を記載させて戴きたいと思います。
何か一つでも、ご参考になれば、幸いです。

[真田のチェコ訪問記]
 久し振りに、チェコ共和国に入りました。
 チェコは、ご高承の通り、中央ヨーロッパの共和制国家で、ちょうど100年前の1918年にオーストリアハンガリー帝国から共和国に転換した国です。
 首都はプラハで、そのプラハには、有名なプラハ城があり、また、街の中心をモルダウ川が流れています。
 尚、プラハの今の最大の問題は、
「交通渋滞と大気汚染」
であると言われています。
 チェコは、歴史的には中欧の概念ができた時点から中欧の国でありましたが、旧ソ連の侵攻後、政治的には東欧に分類されました。
 しかし、ヨーロッパ共産圏が崩壊した時点で、再び中欧または中東欧に分類されています。
 国土は東西に細長いほぼ六角形の形をしており、北はポーランド、東はスロバキア、南はオーストリア、西はドイツと国境を接しており、ポーランドと共に、広範囲に見た欧州のほぼ中心地に位置します
 また、1993年にチェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離して今のチェコ共和国が成立しました。
 NATO、EU、OECDの加盟国で、中欧4か国からなるヴィシェグラード・グループの一員でもありますが、ユーロには加盟していません。
 国際機関である国際通貨基金(IMF)による統計では、チェコのGDPは1,961億米ドル、一人当たりのGDPは18,534米ドルでありEU平均の約半分であります。
 また、オーストリアハンガリー帝国時代に早くから産業革命が進み、1930年代には世界第7位の工業国であり、シュコダなどが有名企業です。
 かつての共産党政権下での中央集権的な計画経済から、市場経済への移行を遂げています。
 もともとチェコスロバキアは旧東欧諸国の中でも工業化が進んでいましたが、共産党政権の崩壊とともに民営化が推し進められています。
 また、プラハは古くから都市計画がしっかりとなされ、比較的効率的な都市建築が推進されてきた街とも見られています。
 1980年代から旧西側企業の進出が相次いでおり、ビロード革命等の混乱はありましが、1994年には経済成長率がプラスに転じ、旧東欧諸国の中ではスロベニアやハンガリー等と並んで高い水準を維持しています。
 そして、前述したように、1995年にOECD、2004年にはEU加盟国となり発展しましたが、2009年の世界経済危機以降は経済成長率が鈍化、最新のデータでは2.8%となっています。
 物価は2.3%上昇、失業率も3.8%と比較的堅調に推移しています。
 有名な企業としては、シュコダオートであり、同社は、中欧で最大の自動車メーカーの1つ(シュコダ・スペルブ)となっています。
 また、2004年にチェコがEUに加盟してから2007年末までの経済成長により、チェコの平均給与は40%以上も上昇しました。
 このような状況で、チェコの労働者は高い給料を求めて次々と転職を繰り返し、一つの企業で長く働くことはなくなったと言われています。
 こうしたことから、
「安くて良質な労働力」
を期待してチェコに進出した外資系メーカーは人手不足と納期不達に悩み、急上昇する人件費は企業の利益を急激に圧迫する要因となっています。
 それは、あたかも1985年のプラザ合意以降、香港、シンガポール、台湾、韓国に進出した日本企業が直ぐに現地での人件費高騰にあり、更に東南アジアや中国本土に進出せざるをえなくなった状況に類似しています。  
 そして、チェコでは、こうした状況の打開策として、国内のメーカーは製造ラインのロボット化を進める一方、ベトナムやモンゴルから安くて優秀な労働者を大量に雇いチェコへ労働移民として送り込むと言った方針をとっています。
 尚、実際に、チェコでは、ベトナムとの関係は意外に深く、ベトナム料理店も見かけます。
 一方、主要輸出品目は機械、輸送機器、化学製品、金属などで、主要輸出相手国はドイツ、スロバキア、ポーランド、オーストリア、フランス、イギリス、イタリアであります。
 また、主要輸入品目は機械、輸送機器、鉱物性燃料、化学製品、農産物で、主要輸入相手国はドイツ、ロシア、中国本土、イタリア、フランス、オーストリア、オランダ、スロバキア、ポーランドであります。
 日本との交易関係は質、量共に薄いです。
 チェコの人口は約1,060万人、首都・プラハには130万人強の人口が集中していますが、この国の産業は、製造業と観光サービス業が中心で、農林水産業の比率は3%にも満たず、食料自給率も低い国です。
 製造業の製品はその70%が輸出、主としてドイツに輸出されており、そうした意味で、ドイツ経済が悪化すると、チェコの企業活動も大幅に鈍化すると言う関係にあります。
 そうした中、通貨までユーロ入りすると一層、ドイツ経済に依存することとなることなどから、議論はあるが今のところは、
「ユーロには加盟せず」
の原則を貫いているようです。
 通貨主権を守るという点では英国とも類似しています。

 プラハでは、毎日のように、教会でミニコンサートが開催されており、私もチェコシンフォニーのメンバーを含む弦楽五重奏とパイプオルガンのコンサートを聴き、感激をして参りました。
 また、チェコ域内各地では、やはり、中国人、そして、韓国人の観光客も多く目立っていました。
 そうした中、米国のピッツバーグでユダヤ人シナゴークが狙われ、たくさんの死傷者が出る事件が発生した直後に、プラハ旧市街にある、シナゴークもあるユダヤ人街に入りましたが、落ち着いた雰囲気でありました。
 ここ、プラハにもユダヤ人街がしっかりとあったのであります。
 また、中国本土企業がたくさんチェコには進出しではいない模様であり、たくさんの中国本土商品を輸入しているようなポーランドに比べると、中国本土のプレゼンス、中国本土からの輸入品は相対的には高くなく、多くないと見られます。
 チェコには、欧州有数の温泉地にして、避暑地でもあるカルロヴイバリと言う街があります。  
 この町は約50,000人の人口を持ち、高級観光地として成り立っています。
 即ち、この地は、飲泉を中心とした温泉保養地でありますが、また、その美しい水をミネラルウオーターにして1864年から製造販売を始めたMATTONIという会社もあります。
 この会社はこの地域では成功を収め、今では、この地のハーフマラソン大会のスポンサーにもなっています。
 因みに同社のシンボルは、大きな、
「鷲」
であります。
 また、チェコには20世紀に入り、薬剤師西鉄人文学者でもあったカレル.ハブリーク氏が開発したオーガニックオイルなどのレシピをもとに、オーガニックオイル、ハンドクリーム、クレンジングマスクなどの商品かに成功した会社もあり、このインターネット社会に於いて、E-Businessで、日本や韓国、中国本土にはこうしたオーガニック商品の並行輸出もしています。
 ところで、チェコの有名産業のひとつにビール製造があります。
 ベルギーと共にビールが有名で、チェコの国民1人あたりのビール消費量は世界一位となり、ちょっと古いデータで恐縮ですが、2006年のデータでは、チェコ国民の1人当たりの年間ビール消費量は161.5リットルとなっています。
 日本のビールのスタイルの主流となっているのはピルスナーですが、ピルスナーはチェコのピルゼン地方のビールの流れを組むもので、そういえば、東京銀座にもピルゼンというビヤホールがありましたことを思い出しました。
 また、チェコではビールを「飲むパン」と呼ぶこともあるくらいに生活に浸透しているそうです。
 最も人気があるのは、ピルスナー・ウルケルで、ビール好きの人間は朝食代わりにビールを飲むこともあることから、飲むパンと言われているようです。
 プラハの市内にも小さなビール製造の工場やその工場跡にできたレストランなどもたくさんありました。
 また、プラハから南に下るとPisekと言う人口約40,000人の町があります。
 プラハからはさほど遠くなく、南ボヘミアの中規模都市であり、一定の産業がある町で、ここにはアイシン精機グループのグローバル拠点があります。
 即ち、
ADVICS Manufacturing Czech s. r. o. (チェコ)
事業内容: 自動車部品(ブレーキキャリパー)の生産
と、
Aisin Europe Manufacturing Czech s. r. o. (チェコ)
事業内容: 自動車部品(タイミングチェーンケース、ウォーターポンプ、オイルポンプなど)の製造
があります。
 さて、最終日は、プラハの共産党ミュージアムも訪問し、チェコの共産党の歴史を学びましたが、この中で重要なのは、プラハの春とビロード革命でありましょうか。
ミュージアムの中で拝見した記録映画を見ると、チェコ市民の民主化に向けた勇気と共産党政権の鎮圧の様子はやはり印象的でありました。
先ず、チェコスロバキア共産党は、ヨーロッパのチェコスロバキアにおける共産党として1921年から1992年まで活動していました。
 マルクス・レーニン主義(共産主義)を掲げる政党であり、設立当初から合法政党として議会内での勢力を維持していました。
 そして、特筆すべきは、前述のプラハの春と言われるもので、1968年1月5日、チェコスロバキア共産党の中央委員会はドゥプチェクを党第一書記に選出し、ドゥプチェクは検閲廃止などの自由化に着手し、ノヴォトニー体制の要人達への批判が強まり、ノヴォトニーは大統領職も辞任し、これが後にプラハの春と呼ばれる改革路線へと繋がりました。
もう一つの特筆すべき点は、1989年、一連の東欧革命の中でチェコスロバキアの共産党体制も一気に危機を迎え、この際に多くの東ドイツ国民が西ドイツへの亡命に成功すると、プラハの西ドイツ大使館にはバカンスでチェコスロバキア国内へ滞在していた東ドイツ国民が殺到し、チェコスロバキア政府はこの際に西ドイツ政府と交渉し、人道的配慮を理由に亡命希望者の西ドイツ移送を認めました。
 そして、これを契機にチェコスロバキア国内の反体制勢力からは、自国の民主化を求める声を呼び起こし、同年11月9日にベルリンの壁崩壊が伝えられて、国民の民主化要求は一気に表面化、11月17日から始まったプラハでのデモンストレーションは参加者を増加させ、ハヴェルを代表として反体制勢力が結集した市民フォーラムは民衆の支持を得ました。
 更に、民主化デモには共産党員も参加し、さらにドゥプチェクなどプラハの春当時の改革派指導者も加わりました。
 共産党政権はソ連の介入による支援も期待できず、軍隊による武力鎮圧も不可能となったため、民主化勢力との妥協を決断、11月24日にヤケシュ書記長が辞任し、12月には民主化の実施を発表したラディスラフ・アダメッツ首相も辞任し、12月10日にはフサーク大統領も非共産党政権の発足を承認して辞職するに至り、その後任にはハヴェルが就任し、連邦議会の議長には共産党へ復党しなかったドゥプチェクが就任、共産党はこのビロード革命によって、ほぼ無血のままに41年間維持した一党支配政権を失う事になったとレポートされていました。
 チェコの市民の民主化、正義への意志の強さをこのミュージアム訪問で改めて知りました。
今 回も有意義な出張でありました。
 以上、少しでも、お役に立てば、幸いです。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

以上

 
愛知淑徳大学 ビジネス学部・ビジネス研究科
教授 真田 幸光
 


真田先生のプロフィール
真田 幸光氏(さなだ・ゆきみつ)
愛知淑徳大学ビジネス学部教授。
1957(昭和32)年生まれ。81年慶大法卒、東京銀行(現・東京三菱UFJ銀行)入行。韓国延世大学留学、ソウル支店、資本市場第 一部、BOT International(H.K.)Ltd.出向などを経て、97年独系ドレスナー銀行東京支店・企業融資部長。98年愛知淑徳大学ビジ ネス・コミュニケーション研究所助教授に就任。2002年4月同 教授、2004年4月より現職。
著書は『日本の国際化と韓国』、『アジアの国、日本』など多 数。 NHKクローズ・アップ現代などテレビ、ラジオ出演をはじめ、中小企業大学校ほか活発な講演活動を展開中。
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